2009年04月17日
今日は19:00より城端小学校の各委員会。
19:30より全体役員会。
20:00より神明会館に場所を移して、懇親会がありました。
私は顧問として参加です。
最初の委員会は選出されたばかりの学級委員さんたちの初顔合わせでもあります。
3年前、私が初めて地区役員として安全・環境副委員長を務めた年に同じく役員だった方や、2年前、会長1年目に役員だった方など、顔見知りの方がたくさんおられました。
子どもが3人いて、「学級委員は3回目」という方もおられます。
学級委員は投票式なので、どうしても同じ人に声がかかってしまうのも、仕方ないのでしょうか・・・
全体役員会は30分では、ちょっと厳しくて、少し遅れて、懇親会スタートです。
私はこれで7回連続(年2回)の懇親会ですが、今日は久しぶりにのんびり食べて飲ませていただきました。
多くの方から「2年間お疲れ様でした。」とお酌して頂きましたし・・・ (*^.^*)
最後の中締めの挨拶もさせて頂きました。
酔っていて何を話したのか良く覚えていませんが・・・ f^_^;
2次会は参加せずに帰るつもりでいたのですが、新役員の方に拉致されて連行されてしまいました〜(笑)
楽しくお酒を飲ませて頂き、よかったです。
皆さん、お疲れ様でした。 m(_ _)m
新役員の皆さん、1年間ガンバって下さいね! (^o^)/
19:30より全体役員会。
20:00より神明会館に場所を移して、懇親会がありました。
私は顧問として参加です。
最初の委員会は選出されたばかりの学級委員さんたちの初顔合わせでもあります。
3年前、私が初めて地区役員として安全・環境副委員長を務めた年に同じく役員だった方や、2年前、会長1年目に役員だった方など、顔見知りの方がたくさんおられました。
子どもが3人いて、「学級委員は3回目」という方もおられます。
学級委員は投票式なので、どうしても同じ人に声がかかってしまうのも、仕方ないのでしょうか・・・
全体役員会は30分では、ちょっと厳しくて、少し遅れて、懇親会スタートです。
私はこれで7回連続(年2回)の懇親会ですが、今日は久しぶりにのんびり食べて飲ませていただきました。
多くの方から「2年間お疲れ様でした。」とお酌して頂きましたし・・・ (*^.^*)
最後の中締めの挨拶もさせて頂きました。
酔っていて何を話したのか良く覚えていませんが・・・ f^_^;
2次会は参加せずに帰るつもりでいたのですが、新役員の方に拉致されて連行されてしまいました〜(笑)
楽しくお酒を飲ませて頂き、よかったです。
皆さん、お疲れ様でした。 m(_ _)m
新役員の皆さん、1年間ガンバって下さいね! (^o^)/
2009年04月14日
今日は19:00より、城端小学校PTAの第1回運営委員会がありました。
私はもうお役御免かと思っていたのですが、新会長(予定者)にお願いされたので、顧問として出席しました。
新会長挨拶の後、それぞれが自己紹介。
S先生、教務主任になられたのですね。
おめでとうございます。 \(^O^)/
新年度の活動計画案、予算案などについて協議されました。
私は顧問という立場なので、発言を自重していたのですが、教養・衛生委員会が4月26日(日)に小学校で制服フリーマーケットの制服を収集するというので・・・???
それは小学校ではなくて、中学校のPTA総会の日に中学校で集めたのでは!?
卒業生でもう下に兄弟のいない子の制服が余るので、この時期に収集するはずなのです。
ところが、今年に限って中学校は小学校より1週間早く4月19日なので、今からでは案内が間に合わない!!
仕方がないので、また別の機会を設定しようという事になりました。
まあ、その事に気付いただけでも。私が参加した甲斐があったかな・・・
新年度の役員の皆さん、ガンバって下さいね! (^o^)/
私はもうお役御免かと思っていたのですが、新会長(予定者)にお願いされたので、顧問として出席しました。
新会長挨拶の後、それぞれが自己紹介。
S先生、教務主任になられたのですね。
おめでとうございます。 \(^O^)/
新年度の活動計画案、予算案などについて協議されました。
私は顧問という立場なので、発言を自重していたのですが、教養・衛生委員会が4月26日(日)に小学校で制服フリーマーケットの制服を収集するというので・・・???
それは小学校ではなくて、中学校のPTA総会の日に中学校で集めたのでは!?
卒業生でもう下に兄弟のいない子の制服が余るので、この時期に収集するはずなのです。
ところが、今年に限って中学校は小学校より1週間早く4月19日なので、今からでは案内が間に合わない!!
仕方がないので、また別の機会を設定しようという事になりました。
まあ、その事に気付いただけでも。私が参加した甲斐があったかな・・・
新年度の役員の皆さん、ガンバって下さいね! (^o^)/
2009年03月19日
卒業生の皆さん、ご卒業、おめでとうございます。
ご卒業される皆さんに、大正時代の童謡作家、金子みすずさんの詩をご紹介したいと思います。
「私と小鳥と鈴と」
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地べたを速くは走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように、
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
勉強が得意な人やスポーツが得意な人。
勉強もスポーツも苦手だけど、絵を描くのが得意な人、ピアノを弾くのが得意な人。
人は皆、人それぞれに、得意な事、苦手な事があります。
でも、「みんなちがって、みんないい。」
みんな違うけど、皆さん一人ひとりがとても大切で、かけがえのない存在なのです。
皆さんはCAPの子どもワークショップで「安心」「自信」「自由」の3つの権利を誰もが持っている事、そして、「人の権利を奪ってはいけない」という事を教えてもらいましたね。
自分の事を大切にし、それと同時に他の人の事も大切にし、思いやりの心を持った人になって欲しいと思います。
そして保護者の皆様、このよき日に、お子様がご卒業を迎えられました事、心からお祝い申し上げます。
お子様たちは四月から中学校へ進学される訳ですが、いろいろと期待もあり、不安な事もあるでしょう。
先日の講演会で明橋先生は次のように仰いました。
子どもの心は依存と自立をくり返しながら、成長します。依存というのは甘える事です。十分に親に甘えて安心感をもらった子どもは自立して行きます。
しかし、不安が多くなってくるとまた親に甘えて来るのです。この「依存と自立」の行ったり来たりが、目まぐるしく変わるのが思春期です。
ですから、お子さんが自力でがんばろうとしている時は、そっと見守る。そして、思い悩んで親を頼ってきた時には、じっくり話を聞いてあげて欲しいと思います。
最後になりましたが、PTAを代表して、
学校の先生方、ひだまりくらぶの皆様、スポ少指導者の皆様、並びに、田んぼの学校他、いろいろとお世話下さった地域の皆様へ
永きに渡り、ご指導を賜り、温かく見守って頂いた事に、心より御礼申し上げます。
本当にありがとうございました。
以上をもちまして、祝辞と替えさせて頂きます。
平成21年3月19日
城端小学校PTA会長 モリヤン
ご卒業される皆さんに、大正時代の童謡作家、金子みすずさんの詩をご紹介したいと思います。
「私と小鳥と鈴と」
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地べたを速くは走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように、
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
勉強が得意な人やスポーツが得意な人。
勉強もスポーツも苦手だけど、絵を描くのが得意な人、ピアノを弾くのが得意な人。
人は皆、人それぞれに、得意な事、苦手な事があります。
でも、「みんなちがって、みんないい。」
みんな違うけど、皆さん一人ひとりがとても大切で、かけがえのない存在なのです。
皆さんはCAPの子どもワークショップで「安心」「自信」「自由」の3つの権利を誰もが持っている事、そして、「人の権利を奪ってはいけない」という事を教えてもらいましたね。
自分の事を大切にし、それと同時に他の人の事も大切にし、思いやりの心を持った人になって欲しいと思います。
そして保護者の皆様、このよき日に、お子様がご卒業を迎えられました事、心からお祝い申し上げます。
お子様たちは四月から中学校へ進学される訳ですが、いろいろと期待もあり、不安な事もあるでしょう。
先日の講演会で明橋先生は次のように仰いました。
子どもの心は依存と自立をくり返しながら、成長します。依存というのは甘える事です。十分に親に甘えて安心感をもらった子どもは自立して行きます。
しかし、不安が多くなってくるとまた親に甘えて来るのです。この「依存と自立」の行ったり来たりが、目まぐるしく変わるのが思春期です。
ですから、お子さんが自力でがんばろうとしている時は、そっと見守る。そして、思い悩んで親を頼ってきた時には、じっくり話を聞いてあげて欲しいと思います。
最後になりましたが、PTAを代表して、
学校の先生方、ひだまりくらぶの皆様、スポ少指導者の皆様、並びに、田んぼの学校他、いろいろとお世話下さった地域の皆様へ
永きに渡り、ご指導を賜り、温かく見守って頂いた事に、心より御礼申し上げます。
本当にありがとうございました。
以上をもちまして、祝辞と替えさせて頂きます。
平成21年3月19日
城端小学校PTA会長 モリヤン
2009年03月19日
今日は9:00より城端小学校の卒業式が行なわれ、私は来賓として出席しました。

まずは卒業生73名1人1人に卒業証書を授与。

校長式辞。
続いて、来賓祝辞。
まずは田中市長の祝辞を城端行政センター長が代読。
さすがは田中市長、子ども目線に立ったいいお話でした。国語の教科書に出てくる「スイミー」のお話をされたのが印象的です。

そして、PTA会長からの祝辞。
2回目なので昨年よりは落ち着いて話せたと思います。祝辞の内容はコチラ!

卒業交歓の詩では、まず在校生の言葉と歌を。

それから卒業生による言葉と歌。
感動的で既に泣いている子も・・・。

式後、各教室にてクラスでの記念撮影。

在校生が花道を作って、卒業生をお見送り。

最後は外で記念撮影をしたり、寄せ書きをしあったり。
卒業生の皆さん、おめでとうございます。 \(^O^)/

まずは卒業生73名1人1人に卒業証書を授与。
校長式辞。
続いて、来賓祝辞。
まずは田中市長の祝辞を城端行政センター長が代読。
さすがは田中市長、子ども目線に立ったいいお話でした。国語の教科書に出てくる「スイミー」のお話をされたのが印象的です。
そして、PTA会長からの祝辞。
2回目なので昨年よりは落ち着いて話せたと思います。祝辞の内容はコチラ!

卒業交歓の詩では、まず在校生の言葉と歌を。

それから卒業生による言葉と歌。
感動的で既に泣いている子も・・・。
式後、各教室にてクラスでの記念撮影。

在校生が花道を作って、卒業生をお見送り。
最後は外で記念撮影をしたり、寄せ書きをしあったり。
卒業生の皆さん、おめでとうございます。 \(^O^)/
2009年03月13日
今日は19:00より城端小学校PTAの新旧合同役員会がありました。
内容は・・・
1.会長(予定者)挨拶
2.新役員紹介
3.地区選出役員の委員会所属について
4.平成20年度事業報告
5.各委員会の引継ぎ
6.その他
今回から主役は新年度役員になり、私はサポート役です。
今年度役員は執行部と委員長、新年度の役員は執行部と委員長、副委員長が参加し、各委員会ごとに仕事の引継ぎを行ないました。
4月の総会までは会長としての仕事はまだありますが、もう少しとなりました。
とりあえずは来週の卒業式の祝辞を考えなくては・・・ f^_^;
役員の皆さん、先生方、お疲れ様でした。 m(_ _)m
内容は・・・
1.会長(予定者)挨拶
2.新役員紹介
3.地区選出役員の委員会所属について
4.平成20年度事業報告
5.各委員会の引継ぎ
6.その他
今回から主役は新年度役員になり、私はサポート役です。
今年度役員は執行部と委員長、新年度の役員は執行部と委員長、副委員長が参加し、各委員会ごとに仕事の引継ぎを行ないました。
4月の総会までは会長としての仕事はまだありますが、もう少しとなりました。
とりあえずは来週の卒業式の祝辞を考えなくては・・・ f^_^;
役員の皆さん、先生方、お疲れ様でした。 m(_ _)m
2009年02月09日
城端小にも来ていただいた明橋大二先生の講演が、今週、TSTさんの5chで放送されています。
TSTさんの番組表はコチラ!
2月8日(月)〜15日(日)
9:00〜10:00
15:00〜16:00
20:00〜21:00
24:00〜1:00 [11日(水)のみ]
演題は「子育てハッピーアドバイス〜自己肯定感を育む子育てを考える〜」
小矢部市立東部小学校での講演を収録したものです。
先日の講演会を残念ながら聞けなかったという方、また、そうでない方もぜひご覧下さい。 (^O^)/
TSTさん、素晴らしい番組をありがとうございます!
m(_ _)m
<追伸>
明橋先生の講演が本になりました!

「子育てハッピーセミナー」
なんと!講演会のDVD付きです。
TSTさんの番組表はコチラ!
2月8日(月)〜15日(日)
9:00〜10:00
15:00〜16:00
20:00〜21:00
24:00〜1:00 [11日(水)のみ]
演題は「子育てハッピーアドバイス〜自己肯定感を育む子育てを考える〜」
小矢部市立東部小学校での講演を収録したものです。
先日の講演会を残念ながら聞けなかったという方、また、そうでない方もぜひご覧下さい。 (^O^)/
TSTさん、素晴らしい番組をありがとうございます!
m(_ _)m
<追伸>
明橋先生の講演が本になりました!

「子育てハッピーセミナー」
なんと!講演会のDVD付きです。
2008年11月21日
今日は授業参観の後14:50より、城端小学校の教養・衛生委員会主催の教育講演会がありました。
講師は精神科医の明橋大二先生。

真生会富山病院心療内科部長としての診療活動の他、スクールカウンセラー、児童相談所嘱託医などとして活躍され、数多くの臨床体験を基に「子どもの自己肯定感を育む事の大切さ」を訴える為に、多くの執筆活動や講演活動を行なわれています。
少しでも親世代に感心を持ってもらう為に、フジTV「笑っていいとも!」に、出演された事もあります。
「城端小で明橋先生の講演会を!」というのが私の念願でした。

おかげ様で今日はこんなにたくさんの方に参加して頂きました。(正確な数はわかりませんが、100人以上は軽くおられました。)
演題は・・・
子育てハッピーアドバイス
〜自己肯定感を育む子育てを考える〜
1.今の子どもをめぐる問題の根っこは、「自己評価の極端な低さ」
2.摂食障害の人の手記より
3.H14年「中学生の生活と意識に関する調査」文部科学省委託調査より
4.子どもにとって一番大切なのは、自己評価
5.どうしてそんなに自己評価が低くなるのか
6.非行の背景にも、自己評価の低さがある
7.子どもの心は、どのように成長するか
8.思春期の対応
9.具体的な対応
1)子どもが小さい時は、スキンシップ
2)話をよくきく・・・能動的な聞き方
3)子どもの頑張りを認めてねぎらう
・頑張れ、より、頑張ってるね
4)ありがとう
10.「くまのこうちょうせんせい」より
(↑のレジメをクリックすると対応したページに飛びます。)
「自己肯定感(自己評価、自尊感情)を育む事がいかに大切か」、また、「子どもは依存と自立を繰り返し成長する」という事について、丁寧にお話しされました。
講演の後は、参加者の質問に対して、
1、子どもの成長には親・先生だけでなく地域の支えが重要。
2、夫婦や家族でも相手の人格を認め合い、言葉に出して話し合う事が大切。
3、モンスターペアレンツと呼ばれるような親がいる現代だからこそ、いっそうPTAの役割は大きい。
というお答えを頂きました。
終了後、「ふれあい文庫」にある明橋先生の著書を借りて帰られた方が、何人もおられたのでよかったです。 o(^-^)o
なお、この講演会はビデオ撮影しましたので、DVDに焼いて、「ふれあい文庫」に置きたいと思いますので、残念ながら参加出来なかったという方は、ぜひご利用下さい。 (^o^)/
お世話して下さった先生方、教養・衛生委員の皆さん、お疲れ様でした。 m(_ _)m
<追伸>
「ふれあい文庫ってどこにあるの?」と尋ねられる方が結構おられたので、せのおと1号の記事を掲載します。

講師は精神科医の明橋大二先生。
真生会富山病院心療内科部長としての診療活動の他、スクールカウンセラー、児童相談所嘱託医などとして活躍され、数多くの臨床体験を基に「子どもの自己肯定感を育む事の大切さ」を訴える為に、多くの執筆活動や講演活動を行なわれています。
少しでも親世代に感心を持ってもらう為に、フジTV「笑っていいとも!」に、出演された事もあります。
「城端小で明橋先生の講演会を!」というのが私の念願でした。
おかげ様で今日はこんなにたくさんの方に参加して頂きました。(正確な数はわかりませんが、100人以上は軽くおられました。)
演題は・・・
子育てハッピーアドバイス
〜自己肯定感を育む子育てを考える〜
1.今の子どもをめぐる問題の根っこは、「自己評価の極端な低さ」
2.摂食障害の人の手記より
3.H14年「中学生の生活と意識に関する調査」文部科学省委託調査より
4.子どもにとって一番大切なのは、自己評価
5.どうしてそんなに自己評価が低くなるのか
6.非行の背景にも、自己評価の低さがある
7.子どもの心は、どのように成長するか
8.思春期の対応
9.具体的な対応
1)子どもが小さい時は、スキンシップ
2)話をよくきく・・・能動的な聞き方
3)子どもの頑張りを認めてねぎらう
・頑張れ、より、頑張ってるね
4)ありがとう
10.「くまのこうちょうせんせい」より
(↑のレジメをクリックすると対応したページに飛びます。)
「自己肯定感(自己評価、自尊感情)を育む事がいかに大切か」、また、「子どもは依存と自立を繰り返し成長する」という事について、丁寧にお話しされました。
講演の後は、参加者の質問に対して、
1、子どもの成長には親・先生だけでなく地域の支えが重要。
2、夫婦や家族でも相手の人格を認め合い、言葉に出して話し合う事が大切。
3、モンスターペアレンツと呼ばれるような親がいる現代だからこそ、いっそうPTAの役割は大きい。
というお答えを頂きました。
終了後、「ふれあい文庫」にある明橋先生の著書を借りて帰られた方が、何人もおられたのでよかったです。 o(^-^)o
なお、この講演会はビデオ撮影しましたので、DVDに焼いて、「ふれあい文庫」に置きたいと思いますので、残念ながら参加出来なかったという方は、ぜひご利用下さい。 (^o^)/
お世話して下さった先生方、教養・衛生委員の皆さん、お疲れ様でした。 m(_ _)m
<追伸>
「ふれあい文庫ってどこにあるの?」と尋ねられる方が結構おられたので、せのおと1号の記事を掲載します。

(↑画像クリックで拡大します。)
2008年11月21日
1.今の子どもをめぐる問題の根っこは、「自己評価の極端な低さ」
自己評価=自己肯定感、自尊感情
最近は子どもが被害者になったり、加害者になったりするいろんな事件や出来事が起こっています。
子どもがなんらかの事件を起こした、犯罪を犯したという事があると、よくマスコミ等では
「今の子どもは何を考えているのかわからない」
「家庭の教育力が落ちている」
「しつけがなされていない」
と、今の子どもを否定するようなコメントが非常に多く出されています。
確かにそういう事が関わる部分もありますが、我々、そういう子どもの問題に現場で関わっている者からすると、決してそういう事が本当の問題の原因ではないのです。
本当の問題の根っこは、一言で言うと子どもたちの「自己評価の極端な低さ」です。
自己評価と言うのは、自己肯定感とか自尊感情とも言います。
これは単に自分に自信があるとか無いとか言う事より、もっと以前のレベルです。
ようするに
「自分は生きている価値がある」
「大切な存在なんだ」
「生きてていいんだ」
そういう感覚の事です。
そういう感覚が、低くなっている子どもが多い。
特にこの自己評価が極端に低くなってしまった子どもに、いろんな心配な症状や行動が出てきます。
そういう事をよく示す患者さんの手記を紹介します。
2.摂食障害の人の手記より
摂食障害と言いまして、心理的な原因でご飯が食べられなくなる。拒食症・過食症と言いますが、そういう病気にかかったある高校生の女の子が書いた物です。
「私はやっぱり誰からも必要とされていないんだよ。誰からも、大切だと思われていない。私の事なんて、放っておいても気にならないんだよ。
私は誰かにとって、大きな存在、大切な存在、必要な存在、そんな人間ではないんだ。そんな人間にはなれないんだ。どうでもいい存在。いてもいなくても、誰も気にとめない。だから死んでも全然何も変わらない。いらない人間なんだよ。
もうこれ以上、そう思い知らされるのはイヤ。私の存在が、必要ないなら、今すぐ死ぬ。殺してほしい。
私の中の心はもう死んでいるから、身体を殺して。みんなずるい。心はメチャクチャに傷つけて、殺してしまったのに、身体は残すなんて。
ちがう、心を殺したのは私だ。誰のせいでもない。私だけが、私を傷つけて殺したんだ。誰かを悪者にするなんて、なんて最低な人間なんだろ。苦しんで当然。大嫌いなのは、私自身。誰かを嫌いなんて、そんな事思ってはいけない。」
下線の部分が、「自己評価の極端な低さ」と言う気持ちです。
ここまで自己評価の低い人はそんなに多くないとしても、「今の日本の子どもたちには、こういう風に自分に自信の持てない子どもが増えているのではないか?」と言われています。
3.H14年「中学生の生活と意識に関する調査」文部科学省委託調査より
1)時々自分が役に立たない人間だと思う、と答えた子どもの割合
日本 56.4% 米国 32.0% 中国 25.4%
2人に1人以上が、「自分なんか役に立たない人間なんじゃないか?」と感じています。
2)自分は他者に劣らず、価値のある人間である、と答えた子どもの割合
日本 31.5% 米国 81.5% 中国 86.6%
7割の子どもたちが「自分なんか他の人より生きている価値がない」と感じています。
国民性や文化の違いがあるにしても、日本の子どもたちの自己評価の低さは、どの調査を見ても突出しています。
では、何でこんな事になるのか?
日本の子どもたちが、アメリカや中国に比べて、「能力が無い」とか「ダメな子なんだ」とか、決してそんな事はありません。
日本に於いては、子どもに対する大人社会の眼差しが否定的な言葉が多い。
「何でこんな事が出来ないのか?」
「わがまま」「甘えている」「贅沢だ」
そういう否定的な言葉ばかりを繰り返して来た結果ではないかと思います。
ですから、今の日本の子育ては
「甘やかし過ぎだ」
「贅沢だ」
と言いますが、決してそんな事はありません。
むしろ、もっともっと
「子どもたちを褒めてやって、いいんじゃないか?」
「子育てはおおらかであって、いいんじゃないか?」
と思います。
(Part 2へ続く)
自己評価=自己肯定感、自尊感情
最近は子どもが被害者になったり、加害者になったりするいろんな事件や出来事が起こっています。
子どもがなんらかの事件を起こした、犯罪を犯したという事があると、よくマスコミ等では
「今の子どもは何を考えているのかわからない」
「家庭の教育力が落ちている」
「しつけがなされていない」
と、今の子どもを否定するようなコメントが非常に多く出されています。
確かにそういう事が関わる部分もありますが、我々、そういう子どもの問題に現場で関わっている者からすると、決してそういう事が本当の問題の原因ではないのです。
本当の問題の根っこは、一言で言うと子どもたちの「自己評価の極端な低さ」です。
自己評価と言うのは、自己肯定感とか自尊感情とも言います。
これは単に自分に自信があるとか無いとか言う事より、もっと以前のレベルです。
ようするに
「自分は生きている価値がある」
「大切な存在なんだ」
「生きてていいんだ」
そういう感覚の事です。
そういう感覚が、低くなっている子どもが多い。
特にこの自己評価が極端に低くなってしまった子どもに、いろんな心配な症状や行動が出てきます。
そういう事をよく示す患者さんの手記を紹介します。
2.摂食障害の人の手記より
摂食障害と言いまして、心理的な原因でご飯が食べられなくなる。拒食症・過食症と言いますが、そういう病気にかかったある高校生の女の子が書いた物です。
「私はやっぱり誰からも必要とされていないんだよ。誰からも、大切だと思われていない。私の事なんて、放っておいても気にならないんだよ。
私は誰かにとって、大きな存在、大切な存在、必要な存在、そんな人間ではないんだ。そんな人間にはなれないんだ。どうでもいい存在。いてもいなくても、誰も気にとめない。だから死んでも全然何も変わらない。いらない人間なんだよ。
もうこれ以上、そう思い知らされるのはイヤ。私の存在が、必要ないなら、今すぐ死ぬ。殺してほしい。
私の中の心はもう死んでいるから、身体を殺して。みんなずるい。心はメチャクチャに傷つけて、殺してしまったのに、身体は残すなんて。
ちがう、心を殺したのは私だ。誰のせいでもない。私だけが、私を傷つけて殺したんだ。誰かを悪者にするなんて、なんて最低な人間なんだろ。苦しんで当然。大嫌いなのは、私自身。誰かを嫌いなんて、そんな事思ってはいけない。」
下線の部分が、「自己評価の極端な低さ」と言う気持ちです。
ここまで自己評価の低い人はそんなに多くないとしても、「今の日本の子どもたちには、こういう風に自分に自信の持てない子どもが増えているのではないか?」と言われています。
3.H14年「中学生の生活と意識に関する調査」文部科学省委託調査より
1)時々自分が役に立たない人間だと思う、と答えた子どもの割合
日本 56.4% 米国 32.0% 中国 25.4%
2人に1人以上が、「自分なんか役に立たない人間なんじゃないか?」と感じています。
2)自分は他者に劣らず、価値のある人間である、と答えた子どもの割合
日本 31.5% 米国 81.5% 中国 86.6%
7割の子どもたちが「自分なんか他の人より生きている価値がない」と感じています。
国民性や文化の違いがあるにしても、日本の子どもたちの自己評価の低さは、どの調査を見ても突出しています。
では、何でこんな事になるのか?
日本の子どもたちが、アメリカや中国に比べて、「能力が無い」とか「ダメな子なんだ」とか、決してそんな事はありません。
日本に於いては、子どもに対する大人社会の眼差しが否定的な言葉が多い。
「何でこんな事が出来ないのか?」
「わがまま」「甘えている」「贅沢だ」
そういう否定的な言葉ばかりを繰り返して来た結果ではないかと思います。
ですから、今の日本の子育ては
「甘やかし過ぎだ」
「贅沢だ」
と言いますが、決してそんな事はありません。
むしろ、もっともっと
「子どもたちを褒めてやって、いいんじゃないか?」
「子育てはおおらかであって、いいんじゃないか?」
と思います。
(Part 2へ続く)
2008年11月21日
4.子どもにとって一番大切なのは、自己評価
・「どうせ」という子
・叱っていい子といけない子
では、なぜこの「自己評価の低さ」という事が子ども達の心配な症状や問題の根っこにあると言えるのか?

子どもの心が成長していく上で、1番土台になっているのが、「自己評価・自己肯定感」です。
わかりやすく言いますと
「私は存在価値がある」
「大切な人間だ」
「必要な存在だ」
「生きてていいんだ」
もっと平たく言うと
「私は私でいいんだ」
こういう気持ちの事を、自己評価・自己肯定感と言います。
こういう気持ちの土台が築かれるのが、だいたい0歳から3歳くらいです。
要するに
お母さんに抱っこしてもらったり
おっぱいを吸わせてもらったり
ヨシヨシしてもらったり
そういう事を通じて
「自分は大切な人間なんだ」
「生まれて来てよかったんだ」
という気持ちを、育んでもらいます。
そういう事を土台にして、初めて可能になるのが「しつけ・生活習慣」です。
要するに
「朝起きて、夜寝る」
「服を着替える」
「トイレに行く」
「自分の物と人の物の区別が付く」
「順番が守れる」
こういう事が、だいたい3歳から6歳にかけて、身に付きます。
更にそういう事を土台にして、初めて可能になるのがいわゆる「勉強」です。
これが6歳ぐらいからです。
ですから、それまでに小さい時に自己評価をしっかり育んでもらって、その上でしつけ・生活習慣を身に付けた子どもは、だいたい6歳・7歳ぐらいになると、いろんな事に対する好奇心が出てきます。
そういう時に、勉強を教えてもらうと、非常によく身に付く。
そういう意味では、6歳・7歳から小学校が始まるというのは、合理的なことなんです。
今までの教育論・子育て論というのは、あんまり自己評価・自己肯定感というのは問題にしませんでした。
ある意味で、こういう物は出来てて当然、あるのが当たり前、という前提でなされてきました。
そういう子どもに「何を教育するのか」「何を育てるのか」となった時に、それは、しつけ・生活習慣であったり、勉強であったり、という事で
今までの教育論・子育て論は
「子どもにしつけ・生活習慣をどう身に付けさせるか」
「勉強をどう取り組ませるか」
という事に関わっていた訳だし
また、子どもに何か問題が起きた時には
「それはしつけがなされていないからだ」
と昔の人は必ず言った訳です。
ところが、今、いろいろな心配な症状を出す子どもたちを見てみると、前提であったはずの自己評価がしっかり育っていない、あるいは傷ついている、ボロボロになっている、という子が少なくないのです。
そういう子の話をよくよく聞いてみると
「自分なんて存在価値ない」
「生きてる意味ない」
「いらない人間」
「自分なんかいない方がまし」
という風に、思っている子がほとんどです。
そういう自己評価が低い子どもに、しつけとか勉強を教えようとしても、なかなか身に付きません。
それどころか逆に、そういう事を言えば言うほど
「既に低い自己評価を、更に下げてしまう」
「既に傷付いている自己評価を、更に傷付けてしまう」
という事になります。
よく子どもの中で
「言えば言ほど、逆効果」
「叱れば叱るほど、悪循環」でよけいに悪くなる
という子がいますが
そういう子は、表面的には
「勉強をやる気がない」
「ルールを守らない」
そういう事のように見えるけれど、実は土台の自己評価が低くなってしまっているのです。
だから、しつけ・勉強が身に付かない。
ところが、表面的なところばかり、ガンガン叱られる。
そして更に、自己評価が低くなる。
という悪循環になってしまいます。
ですから、「言えば言うほど逆効果」になっている子どもには、この子の問題は、そういう表面的な事ではなくて、「土台から低くなっているのではないかな」と気付いてやって、もう一度、土台から育て直す必要があります。
その時には、しつけ・勉強の事は置いといて、
「あなたは大切な存在なんだよ」
「生まれて来てよかったんだよ」
「大好きだよ」
という気持ちを、しっかり伝えて、この土台を育て直します。
そして、そういう子はこの土台が育ってくれば、またルールを守れるようになるし、勉強の意欲も出てきます。
そういう事で、いろんな事の土台となるのが、
「自己評価・自己肯定感」なのです。
この自己評価が低くなって来た時に、たいていの子どもが使う言葉が「どうせ」です。
「どうせ、僕なんか」
「どうせ、私なんか」
「どうせ、無理」
子どもの口から、この「どうせ」という言葉が出てきたら、
それは「自己評価が低くなりつつあるサインだ」
という事で、ちょっと注意していただきたい。
いわゆる心のSOSのサインの1つです。
ですから、子どもが「どうせ」と言い出したら、しばらくは叱ってはいけないのです。
まあ、子どもを育てる時に、なかなか叱らない訳にはいかないのですが
子どものタイプによって、叱っていい子といけない子がいます。
まず、叱っていい子のタイプに2通りあります。
その1つは、「いい意味で自分に自信があって、何事にも前向きなタイプ」です。
そういう子は、ちょっと叱られても「自分のために叱ってくれたんだ」と思えますし、叱られる事でシャキっとしたりします。
もう1つ、比較的叱ってもいいのは、「元々、性格的におおらかで、のんびりしてて、細かい事にこだわらないタイプ」です。
そういう子は「こっちが一生懸命叱ってても、ヘラヘラ聞いてて、右の耳から左の耳へ流している、だんだんこっちがアホらしくなって来て、最後には一緒になって笑ってしまう」という風な、得なタイプです。
次に、叱ってはいけない子、あるいは、叱るのに注意が必要な子のタイプにも2通りあります。
1つは、「非常に気が小さくて、臆病な子」です。
そういう子は、「ちょっと注意しただけで萎縮して何も出来なくなってしまう」「他の子が注意されているのを見てるだけで、自分が注意されている気持ちになって、何も出来なくなる」という事があります。
そういうタイプの子は、見ただけでビクビクしているのがわかりますから、実際にはそんなにガンガン叱られる事はないので、そんなに問題になる事はありません。
ところが、問題になるのは、叱ってはいけないもう1つのタイプの子です。
それは、「意地っ張り」で「頑固」で、「どうせ」とか言う可愛げのないタイプの子です。
そういう子は、実は人一倍ナイーブな部分があって、本当は傷付いているんです。
ところが、そういう事を素直に表に出せず、逆に「意地を張る、突っ張る、口ごたえする、非を認めない」という形で出してきます。
そういうのを見ると、こっちがどう思うかと言うと
「こいつ、ちっともこたえとらん」
「今度という今度、徹底的に叱りつけて、このプライドをへし折らないかん」
という風に、見ているだけで叱りたくなってきます。
ところが、そういう子は、実は人一倍ナイーブで、人の2倍・3倍と傷付いています。
ところが
人の2倍・3倍叱られる
そして4倍・9倍傷付く
そしてまた反発する
すると更に叱られる
そして更に傷付く
という風に悪循環になっていきます。
ですから、そういうタイプの子は、あんまり頭ごなしに叱らない方がいい。
まず、「お前にも何か事情があるんやろ」という風に話を聞いてあげる。
その上で「わかったよ。でも、だからと言って、こういう事はしちゃあかんやろ」という風に教え諭す。
この最後のタイプの子が、よく使うのが「どうせ」という言葉で、これは自己評価が低くなっているサインなのです。
(Part 3へ続く)
・「どうせ」という子
・叱っていい子といけない子
では、なぜこの「自己評価の低さ」という事が子ども達の心配な症状や問題の根っこにあると言えるのか?

子どもの心が成長していく上で、1番土台になっているのが、「自己評価・自己肯定感」です。
わかりやすく言いますと
「私は存在価値がある」
「大切な人間だ」
「必要な存在だ」
「生きてていいんだ」
もっと平たく言うと
「私は私でいいんだ」
こういう気持ちの事を、自己評価・自己肯定感と言います。
こういう気持ちの土台が築かれるのが、だいたい0歳から3歳くらいです。
要するに
お母さんに抱っこしてもらったり
おっぱいを吸わせてもらったり
ヨシヨシしてもらったり
そういう事を通じて
「自分は大切な人間なんだ」
「生まれて来てよかったんだ」
という気持ちを、育んでもらいます。
そういう事を土台にして、初めて可能になるのが「しつけ・生活習慣」です。
要するに
「朝起きて、夜寝る」
「服を着替える」
「トイレに行く」
「自分の物と人の物の区別が付く」
「順番が守れる」
こういう事が、だいたい3歳から6歳にかけて、身に付きます。
更にそういう事を土台にして、初めて可能になるのがいわゆる「勉強」です。
これが6歳ぐらいからです。
ですから、それまでに小さい時に自己評価をしっかり育んでもらって、その上でしつけ・生活習慣を身に付けた子どもは、だいたい6歳・7歳ぐらいになると、いろんな事に対する好奇心が出てきます。
そういう時に、勉強を教えてもらうと、非常によく身に付く。
そういう意味では、6歳・7歳から小学校が始まるというのは、合理的なことなんです。
今までの教育論・子育て論というのは、あんまり自己評価・自己肯定感というのは問題にしませんでした。
ある意味で、こういう物は出来てて当然、あるのが当たり前、という前提でなされてきました。
そういう子どもに「何を教育するのか」「何を育てるのか」となった時に、それは、しつけ・生活習慣であったり、勉強であったり、という事で
今までの教育論・子育て論は
「子どもにしつけ・生活習慣をどう身に付けさせるか」
「勉強をどう取り組ませるか」
という事に関わっていた訳だし
また、子どもに何か問題が起きた時には
「それはしつけがなされていないからだ」
と昔の人は必ず言った訳です。
ところが、今、いろいろな心配な症状を出す子どもたちを見てみると、前提であったはずの自己評価がしっかり育っていない、あるいは傷ついている、ボロボロになっている、という子が少なくないのです。
そういう子の話をよくよく聞いてみると
「自分なんて存在価値ない」
「生きてる意味ない」
「いらない人間」
「自分なんかいない方がまし」
という風に、思っている子がほとんどです。
そういう自己評価が低い子どもに、しつけとか勉強を教えようとしても、なかなか身に付きません。
それどころか逆に、そういう事を言えば言うほど
「既に低い自己評価を、更に下げてしまう」
「既に傷付いている自己評価を、更に傷付けてしまう」
という事になります。
よく子どもの中で
「言えば言ほど、逆効果」
「叱れば叱るほど、悪循環」でよけいに悪くなる
という子がいますが
そういう子は、表面的には
「勉強をやる気がない」
「ルールを守らない」
そういう事のように見えるけれど、実は土台の自己評価が低くなってしまっているのです。
だから、しつけ・勉強が身に付かない。
ところが、表面的なところばかり、ガンガン叱られる。
そして更に、自己評価が低くなる。
という悪循環になってしまいます。
ですから、「言えば言うほど逆効果」になっている子どもには、この子の問題は、そういう表面的な事ではなくて、「土台から低くなっているのではないかな」と気付いてやって、もう一度、土台から育て直す必要があります。
その時には、しつけ・勉強の事は置いといて、
「あなたは大切な存在なんだよ」
「生まれて来てよかったんだよ」
「大好きだよ」
という気持ちを、しっかり伝えて、この土台を育て直します。
そして、そういう子はこの土台が育ってくれば、またルールを守れるようになるし、勉強の意欲も出てきます。
そういう事で、いろんな事の土台となるのが、
「自己評価・自己肯定感」なのです。
この自己評価が低くなって来た時に、たいていの子どもが使う言葉が「どうせ」です。
「どうせ、僕なんか」
「どうせ、私なんか」
「どうせ、無理」
子どもの口から、この「どうせ」という言葉が出てきたら、
それは「自己評価が低くなりつつあるサインだ」
という事で、ちょっと注意していただきたい。
いわゆる心のSOSのサインの1つです。
ですから、子どもが「どうせ」と言い出したら、しばらくは叱ってはいけないのです。
まあ、子どもを育てる時に、なかなか叱らない訳にはいかないのですが
子どものタイプによって、叱っていい子といけない子がいます。
まず、叱っていい子のタイプに2通りあります。
その1つは、「いい意味で自分に自信があって、何事にも前向きなタイプ」です。
そういう子は、ちょっと叱られても「自分のために叱ってくれたんだ」と思えますし、叱られる事でシャキっとしたりします。
もう1つ、比較的叱ってもいいのは、「元々、性格的におおらかで、のんびりしてて、細かい事にこだわらないタイプ」です。
そういう子は「こっちが一生懸命叱ってても、ヘラヘラ聞いてて、右の耳から左の耳へ流している、だんだんこっちがアホらしくなって来て、最後には一緒になって笑ってしまう」という風な、得なタイプです。
次に、叱ってはいけない子、あるいは、叱るのに注意が必要な子のタイプにも2通りあります。
1つは、「非常に気が小さくて、臆病な子」です。
そういう子は、「ちょっと注意しただけで萎縮して何も出来なくなってしまう」「他の子が注意されているのを見てるだけで、自分が注意されている気持ちになって、何も出来なくなる」という事があります。
そういうタイプの子は、見ただけでビクビクしているのがわかりますから、実際にはそんなにガンガン叱られる事はないので、そんなに問題になる事はありません。
ところが、問題になるのは、叱ってはいけないもう1つのタイプの子です。
それは、「意地っ張り」で「頑固」で、「どうせ」とか言う可愛げのないタイプの子です。
そういう子は、実は人一倍ナイーブな部分があって、本当は傷付いているんです。
ところが、そういう事を素直に表に出せず、逆に「意地を張る、突っ張る、口ごたえする、非を認めない」という形で出してきます。
そういうのを見ると、こっちがどう思うかと言うと
「こいつ、ちっともこたえとらん」
「今度という今度、徹底的に叱りつけて、このプライドをへし折らないかん」
という風に、見ているだけで叱りたくなってきます。
ところが、そういう子は、実は人一倍ナイーブで、人の2倍・3倍と傷付いています。
ところが
人の2倍・3倍叱られる
そして4倍・9倍傷付く
そしてまた反発する
すると更に叱られる
そして更に傷付く
という風に悪循環になっていきます。
ですから、そういうタイプの子は、あんまり頭ごなしに叱らない方がいい。
まず、「お前にも何か事情があるんやろ」という風に話を聞いてあげる。
その上で「わかったよ。でも、だからと言って、こういう事はしちゃあかんやろ」という風に教え諭す。
この最後のタイプの子が、よく使うのが「どうせ」という言葉で、これは自己評価が低くなっているサインなのです。
(Part 3へ続く)
2008年11月21日
5.どうしてそんなに自己評価が低くなるのか
・虐待
・いじめ
・関わりが希薄(手のかからないいい子)
では、なぜそのように自己評価が低くなってしまうのか?
まずは「虐待」という問題があります。
虐待というのは、0歳から3歳の本来なら子どもが1番大事にされるべき時期に、大人のストレスのはけ口にされ、毎日のように殴ったり蹴ったりされる。
私が関わって来た子どもの中には、ほとんど親のサンドバッグ同然だと言われていた子もいました。
そんな扱いを受けて
「大切な存在なんだ」
「生まれて来てよかったんだ」
なんて思えるはずないですよね。
ですから、虐待を受けたは非常に自己評価が低いです。
そんな子は、大きくなってからも、いろんな生きづらさ、あるいは心身症に発展していくこともあります。
何としても虐待は防いでいかなければなりません。
虐待なんか受けずに、親の愛情に恵まれて育ったとしても、学校に入ると今度は「いじめ」という問題があります。
いじめも子どもたちの自己評価に大きく影響すると言われています。
いじめというのは、最初は「顔が変だ」とか「勉強が出来ない」という風な、容姿や能力に対する悪口から始まります。
それがだんだんエスカレートして来ると、
「あんたなんか、いらない」
「なんで来たの」
「早く死ねば」
または、自分が透明人間であるかのように、完璧に無視されたりして、存在そのものを否定されたりします。
そういう扱いを受けて、それでも
「自分は大切な人間なんだ」
「このクラスにいていいんだ」
そんな事、思えるはずないですよね。
だから、いじめを受けた子は自己評価が低くなり、それが将来にわたって「引きこもり」などの問題に発展したりします。
では、我々が大人として、子どもが「いじめらている」と相談して来た時に、どういう風に答えてやればいいのか?
子どもが「いじめられている」と相談して来た時に、親としてはショックを受けます。
それと同時に
「お前も言い返したらどうだ」
「もうちょっと強くなったらどうだ」
とか、ついつい言ってしまいがちです。
しかし、そういう風に出来るんだったら、子どもはそんなに悩んでないんです。
子どもが大人に相談して来るという事は、よっぽど耐えて耐えて、耐えかねて相談して来るのです。
言い返したり、強くなる事で対処出来るくらいだったら、子どもは相談して来ない訳です。
出来ないから、相談して来る。
ところが
相談しても、「お前が強くなれ」とか言われてしまうと
「結局、自分が言い返せないからいけないんだ」
「強くないからいけないんだ」
「だから、いじめられるんだ」
「いじめられて当然なんだ」
という風に子どもは思ってしまいます。
ひどい場合になると
「なんでお前ばかりいじめられるんだ」
「お前にも何か悪いところがあるんじゃないのか」
とか、言ってしまう。
そういう風に言われてしまうと、子どもは
「お前が悪いから、いじめられて当然なんだ」
と言われているのと同じように思い、もう2度と相談出来なくなってしまいます。
もちろん、「不器用な子」「空気が読めない子」など、いろいろなタイプの子がいます。
だからと言って、そういう子はいじめられて当然なのか?
そんな事は決してありません。
いじめられる理由っていうのは、いじめられる子の中にはちっともなくて、いじめる子が、人工的に作り出して、それを相手に洗脳していくというプロセスです。
「お前はこうだから、いじめられるんだ」
「お前が悪いんだ」
「何か文句あるのか」
という風に、思い込まされてゆく。
ですから、もしもいじめられる子どもが相談をして来たら
「お前はちっとも悪くないんだよ」
「いじめてる子が間違ってるんだし、おかしいんだよ」
と伝えてやらなければ、なりません。
これは当然の事のようですが、これが案外、子どもには伝わっていません。
また、最近、子どもの自己評価が低くなる背景として、時々あるなと思うのは
大人と子ども、親子の関わりが希薄だという事です。
昔の子育てと今の子育ては、そんなに大変わりしていないと思っていますが
ただ一点だけ、変わったところがあるとすると
親と子が一緒に過ごす時間が少なくなった。
これは事実だと思います。
これは別に、今の親が子どもをほったらかしてるという訳ではなく、社会構造の変化によるものです。
お父さんは、残業で帰りが遅く、平日はほとんど子どもに関わる時間が持てない。
お母さんも仕事を持つようになって、仕事に出て行く。
また、子どもは子どもで塾や習い事で、帰るのは8時9時。
という事で、親子が一緒に過ごす時間が少なくなってきました。
そうなりますと、どんな子どもでもさみしくなり、不安になります。
そうなった時に、子どもの出してくる行動に2通りあります。
その1つのタイプは、普段さみしい不安な分
親が帰って来たら、ギャーギャーと「こんな事があった、あんな事があった」としゃべりまくる。
「お母さん、ご飯の支度があるんだから、一人で遊んでて」と言っても、つきまとって離れない。
そういう子は、叱られたりもするけれど、自分でアピールしている。
だから、気付いてもらえる、かまってもらえるので、最終的には満足出来るのです。
だから、ギャーギャー言う子は、そんなに心配ありません。
ところが、もう1つのタイプは、普段さみしい不安な分
自分がいい子になって、親から褒められる事で、安心しようとする子がいます。
そういう子は、親が帰って来ても、ギャーギャー言わないし
逆に親に気を遣って、お手伝いをしたり、弟妹の面倒を見たりして、非常にいい子にします。
そういう風にすると、親は「なんちゅういい子や」と思うわけです。
だけど、子どもからすると、いい子と言うのは
大人からすると、「手のかからない子」なんです。
だから、「この子はもう自分で出来るから、大丈夫」と思ってしまいます。
そうすると、子どもは「もっとかまって欲しい」「もっと褒めて欲しい」と思って、いい子にしているのに
いい子になる事によって、「よけいにかまってもらえない」「よけいにほったらかしにされる」という事になります。
そうすると、もっとさみしくなる
もっと、いい子になる
もっと、ほっとかれる
という悪循環になってしまいます。
2.でお話した摂食障害の女の子は、まさにそういうタイプの子で
高校に入るまでずっと、「手のかからないいい子」で通して来ました。
その我慢、その背伸びが、高校に入ってから爆発して、こういう病気になってしまったのです。
子どもの自己評価は、もちろん褒めてもらったりする事で、育まれる部分もありますが
それだけではなくて、逆に
怒ったり、泣いたり、ダダこねたり、ギャーギャー言ったり
というマイナスの感情を親にぶつけて、それをそれなりに受け止めてもらう。
それで、叱られたりもするけれど
だからと言って、「明日からご飯一切なし」とか「家から追放」という事にはなりませんよね。
それによって、こんな自分でも「ご飯がもらえる」「家にいていいんだ」と確認出来るのです。
ところが「手のかからないいい子」は
自分がいい子でいる間は、存在を認めてもらえるけれど
もし自分が悪い子になって、文句を言ったり、ダダこねたり、ギャーギャー言ったりしたら
「その途端に見捨てられるんじゃないか」
「見放されるんじゃないか」
という不安が、非常に強いのです。
親からすると、「そんな事するはずないじゃないか」と思いますが
子どもからすると、そういう自分のマイナス部分を出して、それを受け止めてもらった経験が無いので、安心出来ないのです。
という事は、本当の自分に対する自信と言うのは、案外育っていないのです。
そういう訳で、「手のかからないいい子」は、例え成績が良くても、自己評価が低い人が多いのです。
(Part 4へ続く)
・虐待
・いじめ
・関わりが希薄(手のかからないいい子)
では、なぜそのように自己評価が低くなってしまうのか?
まずは「虐待」という問題があります。
虐待というのは、0歳から3歳の本来なら子どもが1番大事にされるべき時期に、大人のストレスのはけ口にされ、毎日のように殴ったり蹴ったりされる。
私が関わって来た子どもの中には、ほとんど親のサンドバッグ同然だと言われていた子もいました。
そんな扱いを受けて
「大切な存在なんだ」
「生まれて来てよかったんだ」
なんて思えるはずないですよね。
ですから、虐待を受けたは非常に自己評価が低いです。
そんな子は、大きくなってからも、いろんな生きづらさ、あるいは心身症に発展していくこともあります。
何としても虐待は防いでいかなければなりません。
虐待なんか受けずに、親の愛情に恵まれて育ったとしても、学校に入ると今度は「いじめ」という問題があります。
いじめも子どもたちの自己評価に大きく影響すると言われています。
いじめというのは、最初は「顔が変だ」とか「勉強が出来ない」という風な、容姿や能力に対する悪口から始まります。
それがだんだんエスカレートして来ると、
「あんたなんか、いらない」
「なんで来たの」
「早く死ねば」
または、自分が透明人間であるかのように、完璧に無視されたりして、存在そのものを否定されたりします。
そういう扱いを受けて、それでも
「自分は大切な人間なんだ」
「このクラスにいていいんだ」
そんな事、思えるはずないですよね。
だから、いじめを受けた子は自己評価が低くなり、それが将来にわたって「引きこもり」などの問題に発展したりします。
では、我々が大人として、子どもが「いじめらている」と相談して来た時に、どういう風に答えてやればいいのか?
子どもが「いじめられている」と相談して来た時に、親としてはショックを受けます。
それと同時に
「お前も言い返したらどうだ」
「もうちょっと強くなったらどうだ」
とか、ついつい言ってしまいがちです。
しかし、そういう風に出来るんだったら、子どもはそんなに悩んでないんです。
子どもが大人に相談して来るという事は、よっぽど耐えて耐えて、耐えかねて相談して来るのです。
言い返したり、強くなる事で対処出来るくらいだったら、子どもは相談して来ない訳です。
出来ないから、相談して来る。
ところが
相談しても、「お前が強くなれ」とか言われてしまうと
「結局、自分が言い返せないからいけないんだ」
「強くないからいけないんだ」
「だから、いじめられるんだ」
「いじめられて当然なんだ」
という風に子どもは思ってしまいます。
ひどい場合になると
「なんでお前ばかりいじめられるんだ」
「お前にも何か悪いところがあるんじゃないのか」
とか、言ってしまう。
そういう風に言われてしまうと、子どもは
「お前が悪いから、いじめられて当然なんだ」
と言われているのと同じように思い、もう2度と相談出来なくなってしまいます。
もちろん、「不器用な子」「空気が読めない子」など、いろいろなタイプの子がいます。
だからと言って、そういう子はいじめられて当然なのか?
そんな事は決してありません。
いじめられる理由っていうのは、いじめられる子の中にはちっともなくて、いじめる子が、人工的に作り出して、それを相手に洗脳していくというプロセスです。
「お前はこうだから、いじめられるんだ」
「お前が悪いんだ」
「何か文句あるのか」
という風に、思い込まされてゆく。
ですから、もしもいじめられる子どもが相談をして来たら
「お前はちっとも悪くないんだよ」
「いじめてる子が間違ってるんだし、おかしいんだよ」
と伝えてやらなければ、なりません。
これは当然の事のようですが、これが案外、子どもには伝わっていません。
また、最近、子どもの自己評価が低くなる背景として、時々あるなと思うのは
大人と子ども、親子の関わりが希薄だという事です。
昔の子育てと今の子育ては、そんなに大変わりしていないと思っていますが
ただ一点だけ、変わったところがあるとすると
親と子が一緒に過ごす時間が少なくなった。
これは事実だと思います。
これは別に、今の親が子どもをほったらかしてるという訳ではなく、社会構造の変化によるものです。
お父さんは、残業で帰りが遅く、平日はほとんど子どもに関わる時間が持てない。
お母さんも仕事を持つようになって、仕事に出て行く。
また、子どもは子どもで塾や習い事で、帰るのは8時9時。
という事で、親子が一緒に過ごす時間が少なくなってきました。
そうなりますと、どんな子どもでもさみしくなり、不安になります。
そうなった時に、子どもの出してくる行動に2通りあります。
その1つのタイプは、普段さみしい不安な分
親が帰って来たら、ギャーギャーと「こんな事があった、あんな事があった」としゃべりまくる。
「お母さん、ご飯の支度があるんだから、一人で遊んでて」と言っても、つきまとって離れない。
そういう子は、叱られたりもするけれど、自分でアピールしている。
だから、気付いてもらえる、かまってもらえるので、最終的には満足出来るのです。
だから、ギャーギャー言う子は、そんなに心配ありません。
ところが、もう1つのタイプは、普段さみしい不安な分
自分がいい子になって、親から褒められる事で、安心しようとする子がいます。
そういう子は、親が帰って来ても、ギャーギャー言わないし
逆に親に気を遣って、お手伝いをしたり、弟妹の面倒を見たりして、非常にいい子にします。
そういう風にすると、親は「なんちゅういい子や」と思うわけです。
だけど、子どもからすると、いい子と言うのは
大人からすると、「手のかからない子」なんです。
だから、「この子はもう自分で出来るから、大丈夫」と思ってしまいます。
そうすると、子どもは「もっとかまって欲しい」「もっと褒めて欲しい」と思って、いい子にしているのに
いい子になる事によって、「よけいにかまってもらえない」「よけいにほったらかしにされる」という事になります。
そうすると、もっとさみしくなる
もっと、いい子になる
もっと、ほっとかれる
という悪循環になってしまいます。
2.でお話した摂食障害の女の子は、まさにそういうタイプの子で
高校に入るまでずっと、「手のかからないいい子」で通して来ました。
その我慢、その背伸びが、高校に入ってから爆発して、こういう病気になってしまったのです。
子どもの自己評価は、もちろん褒めてもらったりする事で、育まれる部分もありますが
それだけではなくて、逆に
怒ったり、泣いたり、ダダこねたり、ギャーギャー言ったり
というマイナスの感情を親にぶつけて、それをそれなりに受け止めてもらう。
それで、叱られたりもするけれど
だからと言って、「明日からご飯一切なし」とか「家から追放」という事にはなりませんよね。
それによって、こんな自分でも「ご飯がもらえる」「家にいていいんだ」と確認出来るのです。
ところが「手のかからないいい子」は
自分がいい子でいる間は、存在を認めてもらえるけれど
もし自分が悪い子になって、文句を言ったり、ダダこねたり、ギャーギャー言ったりしたら
「その途端に見捨てられるんじゃないか」
「見放されるんじゃないか」
という不安が、非常に強いのです。
親からすると、「そんな事するはずないじゃないか」と思いますが
子どもからすると、そういう自分のマイナス部分を出して、それを受け止めてもらった経験が無いので、安心出来ないのです。
という事は、本当の自分に対する自信と言うのは、案外育っていないのです。
そういう訳で、「手のかからないいい子」は、例え成績が良くても、自己評価が低い人が多いのです。
(Part 4へ続く)
2008年11月21日
今年の6月、7月と立て続けに少年事件が起こりました。
女の子がお父さんを殺したり、バスジャックをしたり。
そういう最近の少年事件に共通しているのは
「最初に起こした問題行動が、殺人や事件だった」
という事です。
今までもいわゆる少年事件はありましたが、だいたいは「小学校ぐらいから荒れ出して、中学・高校になったら非行になって、その挙句に、人を刺した。」という場合が多かった。
ところが、今はそうじゃなくて
そういう事件を起こすまでは
「家でも学校でも、いい子で通して来た」
「手のかからないいい子だった」
「成績優秀、真面目な子」
そういう子が事件を起こしています。
では、なぜ、そういう子が事件を起こすのか?
それは結局、そういう風に手のかからないいい子で、自分のマイナス部分を出せずに我慢し続けて来た。
その辛さがいきなり爆発した、という事なのです。
ですから、あまりにも「手のかからない」「いい子過ぎる」という子どもがいたら、大人から声をかけてやる必要があります。
「いつもいい子にしてるけど、本当は何か我慢してるんじゃないの?」
「本当は言いたい事があるんじゃないの?」
そいう風に、声をかけてもらうと、「ちょっと言ってもいいのかな?」と思って、ちょっとずつ話し始めます。
その話を
「そうか、そうか、そんな事思ってたんだ」
「今まで気付かなくて悪かった」
「これからは、何でも話してくれていいよ」
という風に言ってもらって、初めて言えるようになる子もいるのです。
6.非行の背景にも、自己評価の低さがある
・少年非行の防止に関する国連指針(リヤド・ガイドライン)
「少年非行の防止のためには、幼児期からその人格を尊重される必要がある」
「非行」というと、まず我々が思い付くのは
「ルールが教えてられていない」「しつけがなされていない」という事ですが、この非行という問題の背景にも、自己評価の低さがあると言われています。
では、なぜそう言えるのか?
『NAMIDA』という子どもたち自身が自分の経験を手記にした本があります。
「17才 心の傷跡」
お前はいらない
生まれなければよかった
早くいなくなって
そんな風に育った十七年間
家出、非行、暴力....
生きてためには何でもやった
あの頃は全てが下らなく見えた
愛なんて無かった
真実なんて知りたくなかった
生きる意味なんて無かった
欲しいモノなんて無かった...
家出、非行、暴力、恐喝、窃盗、援助交際
ありとあらゆる悪い事をやって来た。
では、なぜそんな悪い事ばかりやったのか、というと
大人は「規範意識が薄い」とか「ルールが教えてられていないからだ」とか言うけれど、心の底にあった気持ちはそんな事じゃなかったのです。
では、どんな気持ちか、というと
あの頃は全てが下らなく見えた
愛なんて無かった
真実なんて知りたくなかった
生きる意味なんて無かった
欲しいモノなんて無かった
要するに「どうせ自分なんか生きている意味ない」という自己評価の低さが心の底にあったからなのです。
そこから、どんどん捨て鉢になって、エスカレートしていったのです。
では、なぜそういう風に思うようになってしまったのか、というと
お前はいらない
生まれなければよかった
早くいなくなって
こういう言葉を浴びせられ続けて、育ってきた17年間だったという事なのです。
もちろん、親がこの言葉通りを子どもに言い続けていたのかどうかという事はわかりません。
親は親なりに、「なんとか子どもに良くなって欲しい」と思うあまり、ついつい叱る事が増えた。
それが、結果としてこういう形で子どもに伝わってしまったのかも知れません。
しかし、それでも子どもからすると、こういうメッセージを受け取り続けてきたという事は事実なのです。
ほとんどの少年非行、少年犯罪の背景には、自己評価の低さという事があるのです。
では、少年非行、少年犯罪を防ぐにはどうしたらいいのか?
日本にも「青少年育成施策大綱」というのがありまして、それにはしつけとかいろいろ書いてあります。
もちろんそういうのも大事です。
しかし、それよりももっと大切な事があります。
「国連指針リヤドガイドライン」には、「少年非行の防止のためには、幼児期からその人格を尊重される必要がある」と書かれています。
少年非行をどうしたら防げるかというと
「子どもを幼児期からその人格を大切にして育てていく」
それによって、非行を防止出来るのです。
逆に言うと、子どもの人格を尊重しない関わり、つまり
暴力を振るったり
否定しまくったり
大人の都合で利用したり
ほったらかしにしたり
そういう事を続けていると、子どもは非行に走り兼ねないのです。
子どもたちの出してくる心配な症状や行動には
ひきこもり
キレル子ども
心身症
少年非行・少年犯罪
リストカット・自殺未遂
拒食症・過食症
など、いろいろとありますが、その根っこにある問題は実は、自己評価の低さ1つだけなのです。
ですから逆に言えば、この自己評価さえしっかり育っていれば、子どもたちは元気に育っていきます。
こういうお話すると、よく「もう小学生だから、手遅れなのか?」と聞かれますが、そんな事は決してありません。
まずは、こういう事を知識として知らなくても、普通に育てていれば、だいたいこういう順番になっていますので、そんなに心配ありません。
また、なんらかの理由で小さい時に自己評価が十分に育っていないとしても、そういう子は大きくなるに連れて
「どうせ」と言う
お腹が痛い
頭が痛い
など、いろいろなサインを出して来ます。
そういうサインを出して来た時に、こういう事に気付いてやって、気付いた時から、もう1度土台から育て直すという事をすれば、いくつになってもやり直しは出来ます。
今、教育という事に関して、よく言われる問題はだいたい2つです。
その1つは学力の問題、もう1つはしつけの問題です。
その土台となる自己評価については、あまりにも問題にされていません。
私はこれを非常に大きな問題だと思っています。
私は今の子どもたちが、みんながみんな「学力が落ちている」とか「ルールが守れない」とかいう風には、必ずしも思いませんが、もしそういう子がいるとすると、ではなぜ、その子どもはそんな風になっているのかと言うと、やっぱり土台の問題なんです。
3.でお話したように日本の中学生の半数が「自分なんかどうせ役に立たない人間だ」と思っています。
そういう風にしか思えない子どもが、どうして前向きに勉強に取り組んだり、社会のルールを積極的に守る事が出来るのでしょうか?
「自分なんて生きてる価値ない」という風に固く思い込んでいる子どもが、どうして意欲的に、自分の人生を前向きに生き抜いて行けるというのか?
問題はこの土台なんです。
しかも、その土台がせめて諸外国並みに育っているのならいいのですが、いろんな調査によって、日本の子どもたちはこの自己評価が低くなっている事が明らかになっている訳です。
ですから、もし教育再生・教育改革というなら、まず何よりも
「日本の子どもたちがどうして自己評価が低くなってしまっているのか?」
その原因を明らかにして
「それをどうしたら育んでいけるのか?」
という事を問題にしてこそ、本当の教育再生・教育改革だと思います。
(Part 5へ続く)
女の子がお父さんを殺したり、バスジャックをしたり。
そういう最近の少年事件に共通しているのは
「最初に起こした問題行動が、殺人や事件だった」
という事です。
今までもいわゆる少年事件はありましたが、だいたいは「小学校ぐらいから荒れ出して、中学・高校になったら非行になって、その挙句に、人を刺した。」という場合が多かった。
ところが、今はそうじゃなくて
そういう事件を起こすまでは
「家でも学校でも、いい子で通して来た」
「手のかからないいい子だった」
「成績優秀、真面目な子」
そういう子が事件を起こしています。
では、なぜ、そういう子が事件を起こすのか?
それは結局、そういう風に手のかからないいい子で、自分のマイナス部分を出せずに我慢し続けて来た。
その辛さがいきなり爆発した、という事なのです。
ですから、あまりにも「手のかからない」「いい子過ぎる」という子どもがいたら、大人から声をかけてやる必要があります。
「いつもいい子にしてるけど、本当は何か我慢してるんじゃないの?」
「本当は言いたい事があるんじゃないの?」
そいう風に、声をかけてもらうと、「ちょっと言ってもいいのかな?」と思って、ちょっとずつ話し始めます。
その話を
「そうか、そうか、そんな事思ってたんだ」
「今まで気付かなくて悪かった」
「これからは、何でも話してくれていいよ」
という風に言ってもらって、初めて言えるようになる子もいるのです。
6.非行の背景にも、自己評価の低さがある
・少年非行の防止に関する国連指針(リヤド・ガイドライン)
「少年非行の防止のためには、幼児期からその人格を尊重される必要がある」
「非行」というと、まず我々が思い付くのは
「ルールが教えてられていない」「しつけがなされていない」という事ですが、この非行という問題の背景にも、自己評価の低さがあると言われています。
では、なぜそう言えるのか?
『NAMIDA』という子どもたち自身が自分の経験を手記にした本があります。
「17才 心の傷跡」
お前はいらない
生まれなければよかった
早くいなくなって
そんな風に育った十七年間
家出、非行、暴力....
生きてためには何でもやった
あの頃は全てが下らなく見えた
愛なんて無かった
真実なんて知りたくなかった
生きる意味なんて無かった
欲しいモノなんて無かった...
家出、非行、暴力、恐喝、窃盗、援助交際
ありとあらゆる悪い事をやって来た。
では、なぜそんな悪い事ばかりやったのか、というと
大人は「規範意識が薄い」とか「ルールが教えてられていないからだ」とか言うけれど、心の底にあった気持ちはそんな事じゃなかったのです。
では、どんな気持ちか、というと
あの頃は全てが下らなく見えた
愛なんて無かった
真実なんて知りたくなかった
生きる意味なんて無かった
欲しいモノなんて無かった
要するに「どうせ自分なんか生きている意味ない」という自己評価の低さが心の底にあったからなのです。
そこから、どんどん捨て鉢になって、エスカレートしていったのです。
では、なぜそういう風に思うようになってしまったのか、というと
お前はいらない
生まれなければよかった
早くいなくなって
こういう言葉を浴びせられ続けて、育ってきた17年間だったという事なのです。
もちろん、親がこの言葉通りを子どもに言い続けていたのかどうかという事はわかりません。
親は親なりに、「なんとか子どもに良くなって欲しい」と思うあまり、ついつい叱る事が増えた。
それが、結果としてこういう形で子どもに伝わってしまったのかも知れません。
しかし、それでも子どもからすると、こういうメッセージを受け取り続けてきたという事は事実なのです。
ほとんどの少年非行、少年犯罪の背景には、自己評価の低さという事があるのです。
では、少年非行、少年犯罪を防ぐにはどうしたらいいのか?
日本にも「青少年育成施策大綱」というのがありまして、それにはしつけとかいろいろ書いてあります。
もちろんそういうのも大事です。
しかし、それよりももっと大切な事があります。
「国連指針リヤドガイドライン」には、「少年非行の防止のためには、幼児期からその人格を尊重される必要がある」と書かれています。
少年非行をどうしたら防げるかというと
「子どもを幼児期からその人格を大切にして育てていく」
それによって、非行を防止出来るのです。
逆に言うと、子どもの人格を尊重しない関わり、つまり
暴力を振るったり
否定しまくったり
大人の都合で利用したり
ほったらかしにしたり
そういう事を続けていると、子どもは非行に走り兼ねないのです。
子どもたちの出してくる心配な症状や行動には
ひきこもり
キレル子ども
心身症
少年非行・少年犯罪
リストカット・自殺未遂
拒食症・過食症
など、いろいろとありますが、その根っこにある問題は実は、自己評価の低さ1つだけなのです。
ですから逆に言えば、この自己評価さえしっかり育っていれば、子どもたちは元気に育っていきます。
こういうお話すると、よく「もう小学生だから、手遅れなのか?」と聞かれますが、そんな事は決してありません。
まずは、こういう事を知識として知らなくても、普通に育てていれば、だいたいこういう順番になっていますので、そんなに心配ありません。
また、なんらかの理由で小さい時に自己評価が十分に育っていないとしても、そういう子は大きくなるに連れて
「どうせ」と言う
お腹が痛い
頭が痛い
など、いろいろなサインを出して来ます。
そういうサインを出して来た時に、こういう事に気付いてやって、気付いた時から、もう1度土台から育て直すという事をすれば、いくつになってもやり直しは出来ます。
今、教育という事に関して、よく言われる問題はだいたい2つです。
その1つは学力の問題、もう1つはしつけの問題です。
その土台となる自己評価については、あまりにも問題にされていません。
私はこれを非常に大きな問題だと思っています。
私は今の子どもたちが、みんながみんな「学力が落ちている」とか「ルールが守れない」とかいう風には、必ずしも思いませんが、もしそういう子がいるとすると、ではなぜ、その子どもはそんな風になっているのかと言うと、やっぱり土台の問題なんです。
3.でお話したように日本の中学生の半数が「自分なんかどうせ役に立たない人間だ」と思っています。
そういう風にしか思えない子どもが、どうして前向きに勉強に取り組んだり、社会のルールを積極的に守る事が出来るのでしょうか?
「自分なんて生きてる価値ない」という風に固く思い込んでいる子どもが、どうして意欲的に、自分の人生を前向きに生き抜いて行けるというのか?
問題はこの土台なんです。
しかも、その土台がせめて諸外国並みに育っているのならいいのですが、いろんな調査によって、日本の子どもたちはこの自己評価が低くなっている事が明らかになっている訳です。
ですから、もし教育再生・教育改革というなら、まず何よりも
「日本の子どもたちがどうして自己評価が低くなってしまっているのか?」
その原因を明らかにして
「それをどうしたら育んでいけるのか?」
という事を問題にしてこそ、本当の教育再生・教育改革だと思います。
(Part 5へ続く)
2008年11月21日
7.子どもの心は、どのように成長するか
1)依存と自立の繰り返し
(あくまでの子どものペースで)
・甘えた人が自立する。
2)してはいけないこと
過干渉(抑圧)と放任
3)手のひらの中の卵
子どもの心は、どのように大きくなるのか?

(この図をクリックして、別ウインドウで開いておくと、わかりやすいです。)
一言で言うと、子どもの心は
「依存」と「自立」の行ったり来たり
で大きくなります。
「依存」は言い換えると「甘え」
「自立」は言い換えると「反抗」
甘えてる時は素直ですから「従順」
反抗の時は大人に対する「攻撃」や「批判」
では、なぜこの2つを行ったり来たりするのか?というと
まず、赤ちゃんの時、完全に親に依存した状態で生まれて来ます。
その時に子どもの心がもらうものは「安心感」です。
十分に依存して甘えて、安心感をもらいます。
そうすると、しばらくして子どもの心に、別の気持ちが出てきます。
それが「不自由」です。
この依存の世界というのは、安心ではあるけれど、いろいろと縛られて不自由なのです。
十分に依存して甘えて、安心感をもらった子どもは、しばらくすると、この世界が不自由だと感じるようになります。
そして、「自由」になりたいと思うようになります。
それが「意欲」です。
意欲が向う先は自立の世界です。
自立の世界というのは、何でも自分の思い通りになり自由です。
自立した子どもは、しばらく自由を満喫します。
ところが、そのうち子どもの心に、もう1つ別の気持ちが出てきます。
それが「不安」です。
この自立の世界というのは、自由ではあるけれど、同時に不安な世界です。
不安があまりに強くなると「お母さ〜ん」と言って、依存の世界に戻って来ます。
そしてまた、依存して甘えて安心すると、「自分で」と言って自立の世界へ向います。
そして、不安になると、また依存する。
こういう風に「依存」と「自立」を行ったり来たりする訳です。
ここで大事な事は、「依存と自立の行ったり来たり」が
あくまでも子どものペースでなくてはなりません。
子どもが「お母さ〜ん」と寄って来たら、「ヨシヨシ」と助けてあげる。
「自分でやる」と言ったら、「やってごらん」とやらさせてあげる。
ところが、そうはわかっていても、大人も忙しいですから、実際にはそうなっていません。
子どものペースではなく、大人の都合になっています。
子どもが「お母さ〜ん」と寄って来ても、お母さんが忙しいと
「そんなことぐらい、自分でやりなさい。もう1年生でしょ!」
と言ってしまいます。
そうかと思うと
子どもが自分でやろうとしているのに、出かける前で時間がない時には
「ちょっと、お母さんに貸しなさい。まだ1年生でしょ!」
と言ってしまいます。
ついつい大人の都合で突き放したり、構い過ぎたりしてしまうのですが、本来はあくまで子どものペースであるべきなのです。
ここで考えて頂きたいのですが、子どもの「自立」はどこから出てくるのでしょうか?
「自立」の反対は「甘え」ですから、「甘えさせない事が自立させる事だ」と思われがちです。
ですから
「甘えさせてはダメだ」
「いつまでも甘えさせてるから、自立出来ないんだ」
とよく言われます。
ところが、図を見ればわかるように
「自立」の基になるのは「意欲」です。
「意欲」が出てくるのは「安心感」からです。
「安心」出来るのは、依存して甘えたからです。
という事は
「甘えない人が、自立する」のではなくて
「十分に甘えた人が、自立する」のです。
「いや、反対じゃないか?」と言う人は多いのですが
実際に、思春期・青年期になって、自立につまずく人を見てみると
「小さい時に十分に甘える事が出来なかった」
という人が、少なくないのです。
ですから、子どもの心が自立していく上で、子ども時代の甘えというのは、とても大事なものです。
決して、否定すべきものではありません。
それも、2歳3歳までではなくて、少なくとも小学校の間くらいは、十分に甘えさせていいのです。
そうすると、依存させない関わり、自立させない関わりが問題になってきます。
依存させない関わりには
「放任(ほったらかし)」
「ネグレクト(育児放棄)」
自立させない関わりには
「押さえつける(抑圧)」
「否定する」
「過干渉(構い過ぎ)」
があります。
平たく言うと
「ほったらかしと構い過ぎに気をつけましょう」という事です。
どちらかというと、お父さんは「ほったらかし」、お母さんは「構い過ぎ」になっている事が多いです。
ある高校でお父さんとお母さんに対する一言メッセージを募集した事があります。
その中で優勝した作品を紹介します。
「父よ
何か言ってくれ
母よ
何も言わないでくれ」
それから、ある小学生の男の子が作った詩です。
「お嫁さん」
ぼくはやさしいお嫁さんをもらいます
友達とお酒を飲みにいった時
こわいお嫁さんは
「今まで何やってたの?早く風呂に入って寝なさい」
と言うけど
やさしいお嫁さんなら
「早く寝なさい」
だけで済むからです
あと、給料が少なかったら
こわいお嫁さんは
「給料が少ないから、お小遣い減らす」
と言うけど
やさしいお嫁さんなら
「あら?少なかったのね」
だけで済むからです
あと、うるさいお嫁さんと
文句を言うお嫁さんも
欲しくないです
うるさいのと
文句を言う女は
お母さんだけで十分です
まあ、ついつい心配だから言ってしまうのですけど
うまい事書いてるなと思いますね。
この辺のところはちょうど1つの例えですが
子どもの心は「手のひらの中の卵」のみたいなものです。
あんまり締め付け過ぎると、壊れてしまうし
あんまり放し過ぎても、こぼれ落ちて、壊れてしまいます。
だから、あまり締め付け過ぎもせず、放し過ぎもせず、ほどよい力で支え続ける事がいいのです。
(Part 6へ続く)
1)依存と自立の繰り返し
(あくまでの子どものペースで)
・甘えた人が自立する。
2)してはいけないこと
過干渉(抑圧)と放任
3)手のひらの中の卵
子どもの心は、どのように大きくなるのか?

(この図をクリックして、別ウインドウで開いておくと、わかりやすいです。)
一言で言うと、子どもの心は
「依存」と「自立」の行ったり来たり
で大きくなります。
「依存」は言い換えると「甘え」
「自立」は言い換えると「反抗」
甘えてる時は素直ですから「従順」
反抗の時は大人に対する「攻撃」や「批判」
では、なぜこの2つを行ったり来たりするのか?というと
まず、赤ちゃんの時、完全に親に依存した状態で生まれて来ます。
その時に子どもの心がもらうものは「安心感」です。
十分に依存して甘えて、安心感をもらいます。
そうすると、しばらくして子どもの心に、別の気持ちが出てきます。
それが「不自由」です。
この依存の世界というのは、安心ではあるけれど、いろいろと縛られて不自由なのです。
十分に依存して甘えて、安心感をもらった子どもは、しばらくすると、この世界が不自由だと感じるようになります。
そして、「自由」になりたいと思うようになります。
それが「意欲」です。
意欲が向う先は自立の世界です。
自立の世界というのは、何でも自分の思い通りになり自由です。
自立した子どもは、しばらく自由を満喫します。
ところが、そのうち子どもの心に、もう1つ別の気持ちが出てきます。
それが「不安」です。
この自立の世界というのは、自由ではあるけれど、同時に不安な世界です。
不安があまりに強くなると「お母さ〜ん」と言って、依存の世界に戻って来ます。
そしてまた、依存して甘えて安心すると、「自分で」と言って自立の世界へ向います。
そして、不安になると、また依存する。
こういう風に「依存」と「自立」を行ったり来たりする訳です。
ここで大事な事は、「依存と自立の行ったり来たり」が
あくまでも子どものペースでなくてはなりません。
子どもが「お母さ〜ん」と寄って来たら、「ヨシヨシ」と助けてあげる。
「自分でやる」と言ったら、「やってごらん」とやらさせてあげる。
ところが、そうはわかっていても、大人も忙しいですから、実際にはそうなっていません。
子どものペースではなく、大人の都合になっています。
子どもが「お母さ〜ん」と寄って来ても、お母さんが忙しいと
「そんなことぐらい、自分でやりなさい。もう1年生でしょ!」
と言ってしまいます。
そうかと思うと
子どもが自分でやろうとしているのに、出かける前で時間がない時には
「ちょっと、お母さんに貸しなさい。まだ1年生でしょ!」
と言ってしまいます。
ついつい大人の都合で突き放したり、構い過ぎたりしてしまうのですが、本来はあくまで子どものペースであるべきなのです。
ここで考えて頂きたいのですが、子どもの「自立」はどこから出てくるのでしょうか?
「自立」の反対は「甘え」ですから、「甘えさせない事が自立させる事だ」と思われがちです。
ですから
「甘えさせてはダメだ」
「いつまでも甘えさせてるから、自立出来ないんだ」
とよく言われます。
ところが、図を見ればわかるように
「自立」の基になるのは「意欲」です。
「意欲」が出てくるのは「安心感」からです。
「安心」出来るのは、依存して甘えたからです。
という事は
「甘えない人が、自立する」のではなくて
「十分に甘えた人が、自立する」のです。
「いや、反対じゃないか?」と言う人は多いのですが
実際に、思春期・青年期になって、自立につまずく人を見てみると
「小さい時に十分に甘える事が出来なかった」
という人が、少なくないのです。
ですから、子どもの心が自立していく上で、子ども時代の甘えというのは、とても大事なものです。
決して、否定すべきものではありません。
それも、2歳3歳までではなくて、少なくとも小学校の間くらいは、十分に甘えさせていいのです。
そうすると、依存させない関わり、自立させない関わりが問題になってきます。
依存させない関わりには
「放任(ほったらかし)」
「ネグレクト(育児放棄)」
自立させない関わりには
「押さえつける(抑圧)」
「否定する」
「過干渉(構い過ぎ)」
があります。
平たく言うと
「ほったらかしと構い過ぎに気をつけましょう」という事です。
どちらかというと、お父さんは「ほったらかし」、お母さんは「構い過ぎ」になっている事が多いです。
ある高校でお父さんとお母さんに対する一言メッセージを募集した事があります。
その中で優勝した作品を紹介します。
「父よ
何か言ってくれ
母よ
何も言わないでくれ」
それから、ある小学生の男の子が作った詩です。
「お嫁さん」
ぼくはやさしいお嫁さんをもらいます
友達とお酒を飲みにいった時
こわいお嫁さんは
「今まで何やってたの?早く風呂に入って寝なさい」
と言うけど
やさしいお嫁さんなら
「早く寝なさい」
だけで済むからです
あと、給料が少なかったら
こわいお嫁さんは
「給料が少ないから、お小遣い減らす」
と言うけど
やさしいお嫁さんなら
「あら?少なかったのね」
だけで済むからです
あと、うるさいお嫁さんと
文句を言うお嫁さんも
欲しくないです
うるさいのと
文句を言う女は
お母さんだけで十分です
まあ、ついつい心配だから言ってしまうのですけど
うまい事書いてるなと思いますね。
この辺のところはちょうど1つの例えですが
子どもの心は「手のひらの中の卵」のみたいなものです。
あんまり締め付け過ぎると、壊れてしまうし
あんまり放し過ぎても、こぼれ落ちて、壊れてしまいます。
だから、あまり締め付け過ぎもせず、放し過ぎもせず、ほどよい力で支え続ける事がいいのです。
(Part 6へ続く)
2008年11月21日
8.思春期の対応
・反抗しだしたら一安心
子どもの心の成長は、思春期になるとどうなるのか?
思春期(第2反抗期)は、中学2年生の2学期から、ガラッと変わるとよく言われていますが、
最近の子どもたちはませていますので、女の子で早い人は小学校の6年生ぐらいから、「プレ思春期」という風に、もう反抗期が出てきます。
それが中学生になると、本格的に反抗しだすのです。
小学校の間は、何でも言う事を聞いて、お手伝いもして「なんていい子だ」と思っていたのに、
中学校に入ったら・・・
何も話して来なくなる。
学校から帰って来ても「ただいま」も言わず、スーっと自分の部屋へ入ってしまう。
「学校どうなの?」と聞いても、何も答えない。
答えたとしても「別に」とか「普通」とか「微妙」とか、しか言わない。
「微妙って何なの?」と言うと
「うるさいな」
「うざい」
「クソばばあ」
とか、言ったりします。
「クソばばあ」なんて言われた日には、お母さんは真っ青になって
「いったいこの子はどうなってしまったのか?」
「このままでは犯罪化していくんじゃないか?」
という風に、心配している人もいます。
しかし、子どもが反抗しだすという事はどういう事かというと
それまでに十分依存して甘えて安心感をもらったから、反抗するのです。
という事は、子どもが反抗しだしたという事は
「基本的にはそれまでの子育てが間違っていなかった」
という事の証拠です。
「どこで育て方を間違えたのか?」ではなくて
ちゃんと育てて来たから、反抗するようになったのです。
我々医者からすると、むしろ
「思春期・青年期になっても、ちっとも反抗しない子」
の方が、逆に心配です。
もちろん、子どもによって個人差はあります。
また、親子のコミュニケーションが十分に取れていて、反抗する必要がない子もいます。
そういう子はそんなに心配ないです。
しかし中には、十分な安心感をもらってない為に、反抗したらその途端に
「見捨てられるんじゃないか」
「見放されるんじゃないか」
という不安が非常に強くて「反抗したくても出来ない」という子がいます。
では、そういう子はそのまま大きくなるのか?というと、そうではなくて、
「二十歳を過ぎてから、爆発的な形で反抗してくる」という事があります。
ですから、思春期・青年期に反抗期が出てくるという事は、子どもの心が健全に成長してきて、自立を始めた証拠です。
だから、「反抗しだしたら一安心」なのです。
それにしても、今の子どもたちは
「うざい」
「死ね」
「ぶっ殺す」
「クソばばあ」
とか、恐ろしい事を平気で言います。
「今の子どもたちの言葉遣い、何とかならんのか?」
「いったいこれは日本語としてどうなんだ?」という人も多いですし、私も困ったものだと思います。
しかしその一方で、「今の子どもたちは、そういう言葉遣いをするものなんだ」と割り切る事も必要だと思います。
日常的にTVやマンガで、そういう言葉遣いを聞いている訳です。
もう一種の外国語なのです。
だから、翻訳が必要です。
「うざい、死ね」は・・・「構わないでね」
「ぶっ殺す」は・・・「怒ってるんだよ」
「クソばばあ」は・・・「お母さん」
そういう風に聞いたら、ちょっとは冷静に聞けるのです。
(Part 7へ続く)
・反抗しだしたら一安心
子どもの心の成長は、思春期になるとどうなるのか?
思春期(第2反抗期)は、中学2年生の2学期から、ガラッと変わるとよく言われていますが、
最近の子どもたちはませていますので、女の子で早い人は小学校の6年生ぐらいから、「プレ思春期」という風に、もう反抗期が出てきます。
それが中学生になると、本格的に反抗しだすのです。
小学校の間は、何でも言う事を聞いて、お手伝いもして「なんていい子だ」と思っていたのに、
中学校に入ったら・・・
何も話して来なくなる。
学校から帰って来ても「ただいま」も言わず、スーっと自分の部屋へ入ってしまう。
「学校どうなの?」と聞いても、何も答えない。
答えたとしても「別に」とか「普通」とか「微妙」とか、しか言わない。
「微妙って何なの?」と言うと
「うるさいな」
「うざい」
「クソばばあ」
とか、言ったりします。
「クソばばあ」なんて言われた日には、お母さんは真っ青になって
「いったいこの子はどうなってしまったのか?」
「このままでは犯罪化していくんじゃないか?」
という風に、心配している人もいます。
しかし、子どもが反抗しだすという事はどういう事かというと
それまでに十分依存して甘えて安心感をもらったから、反抗するのです。
という事は、子どもが反抗しだしたという事は
「基本的にはそれまでの子育てが間違っていなかった」
という事の証拠です。
「どこで育て方を間違えたのか?」ではなくて
ちゃんと育てて来たから、反抗するようになったのです。
我々医者からすると、むしろ
「思春期・青年期になっても、ちっとも反抗しない子」
の方が、逆に心配です。
もちろん、子どもによって個人差はあります。
また、親子のコミュニケーションが十分に取れていて、反抗する必要がない子もいます。
そういう子はそんなに心配ないです。
しかし中には、十分な安心感をもらってない為に、反抗したらその途端に
「見捨てられるんじゃないか」
「見放されるんじゃないか」
という不安が非常に強くて「反抗したくても出来ない」という子がいます。
では、そういう子はそのまま大きくなるのか?というと、そうではなくて、
「二十歳を過ぎてから、爆発的な形で反抗してくる」という事があります。
ですから、思春期・青年期に反抗期が出てくるという事は、子どもの心が健全に成長してきて、自立を始めた証拠です。
だから、「反抗しだしたら一安心」なのです。
それにしても、今の子どもたちは
「うざい」
「死ね」
「ぶっ殺す」
「クソばばあ」
とか、恐ろしい事を平気で言います。
「今の子どもたちの言葉遣い、何とかならんのか?」
「いったいこれは日本語としてどうなんだ?」という人も多いですし、私も困ったものだと思います。
しかしその一方で、「今の子どもたちは、そういう言葉遣いをするものなんだ」と割り切る事も必要だと思います。
日常的にTVやマンガで、そういう言葉遣いを聞いている訳です。
もう一種の外国語なのです。
だから、翻訳が必要です。
「うざい、死ね」は・・・「構わないでね」
「ぶっ殺す」は・・・「怒ってるんだよ」
「クソばばあ」は・・・「お母さん」
そういう風に聞いたら、ちょっとは冷静に聞けるのです。
(Part 7へ続く)
最近のコメント
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...(2009.06.09 22:44) - こびんさん、コメント...
(2009.04.25 09:13)
- 草ピーさん、コメント...
(2009.04.25 09:09)
- 去年のすちょびんのク...
(2009.04.20 22:43)
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(2009.04.19 06:45)
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